こんにちは。川畑です。
2021年10月、今年の中で最も悲しいことがありました。
それは、すぎやまこういち先生の訃報です。
すぎやまこういち先生は音楽作家で、ドラゴンクエストシリーズを全て作曲してこられた方なんですね。
もうドラゴンクエストから、すぎやまこういち先生が手がける音楽が出ないんだと思うと、本当に悲しいです。
辛かった小中学生、僕はドラクエに救われました
僕は元々ゲーマーで、それなりの数のゲームソフトを遊んできました。
その中でもドラクエはダントツに好きで、僕の青春です。
小学校5〜6年生の時、習い事の空手にいくのが嫌でサボってた時、いつもマンションの片隅でドラクエをやってました。
当時はゲームボーイカラーという、外で持ち運んで遊べるゲームを持っていたのですが、こいつのおかげで僕は習い事をサボっても楽しい時間を過ごせたんですよねw
↑これがゲームボーイカラーです。僕はこの透明バージョンを持っていたのですが、基盤が透けて見えてる感じがすごくカッコよくて、めちゃめちゃ気に入ってましたw
ちなみにその時一番遊んでたソフトは「ドラゴンクエストモンスターズ・テリーのワンダーランド」(略してテリワン)でした。
空手をサボってゲームライフを過ごしてたある日、全クリして「うおー!」と喜んだら、その拍子にゲームを壁にガンッ!とぶつけてしまい、セーブデータが全部吹っ飛んだこともありました🤣
当時はすっごくショックでしたが、今では良い思い出ですw
僕はドラクエシリーズを1〜9まで全クリしてますし、11も現在進行形でプレイしてます。
他にモンスターズシリーズも、テリワンは原作も3DS版も合わせると何周したか分からないぐらいプレーしましたし、ジョーカー1も、イルルカの3DS版も裏ボスまで全部倒しました。
スマホのゲームも、そこそこ強くなるところまでやりました。
本当にドラクエの大ファンなんですよね。
僕の過去を少し話すと、小中と友達ができず苦しい時期だったんですよね。
中2の時はクラスに馴染めず、不登校になってしまいました。
そんな時、親がウォークマンを買ってくれたんですよね。
当時僕が持っていたウォークマンは、このそら豆みたいな形をしたやつでした。
この水色を持っていたのですが、形が可愛くて指にフィットして持ちやすいし、上の蓋を開けるとシャッとUSBの差込口が出てくるのが好きで、すっごくお気に入りでした。
普通、思春期の頃って、その時流行りのJ-POPとか洋楽とかを聴くと思うのですが、僕はドラクエのサウンドトラックを全部入れて、ずっと聴いてました。
(スキマスイッチとか福山雅治も好きで聴いてたのですが、有名アーティストの曲以上にドラクエの音楽もずっと聴いてました。)
夜はこのそら豆にイヤホンを繋いで、寝ながら聞いてましたね。
気持ちが落ち込んだ時はドラクエのレクイエムを聞いたり、ちょっと気分を変えたい時とかは、ドラクエ6のフィールドを歩く音楽を聴いてました。
「学校に行かなきゃ。でも行けない。」
という葛藤で苦しかった頃、ドラクエというゲームと音楽に、相当支えられてきました。
学校に行けない落ちこぼれでしたが、ゲームの中では勇者になれました。
すぎやまこういち先生の生き方から、僕が受けた影響
すぎやまこういち先生の音楽は本当に素晴らしく、いつ聴いてもすごくワクワクする曲ばかりです。
僕のようなドラクエのファンにとっては、本当に神のような存在です。
今でこそゲームのBGMでは、当たり前のようにクラシック系の音楽が使われておりますが、その流れを作ったのってすぎやん先生なんですよね。
初代ドラクエを発売するとき、最初はロック系の音楽にする予定だったそうです。
けど、すぎやん先生はドラクエのゲームのコンセプトを聞いたとき、当時のセオリーを打ち破って、クラシック調の音楽を採用されました。
その理由を、テレビではこのように答えていました。「ゲームの音楽は、第一印象でつかむというよりは、噛めば噛むほど味が出る。何回聞いても飽きない音楽を作る必要があるだろう。そうすると必然的に音楽の作り方は、ポップスよりはクラシック音楽をベースに考えて音楽を作るのが正解だろうと思って、ドラクエの音楽のシリーズがずっと来ている。」
こうしてクラシック調の音楽を使ったゲームが初めて誕生し、以来、世界のゲームではにクラシック調の音楽がスタンダードになりました。
そんな偉大な作曲家、すぎやまこういち先生ですが、川畑はすぎやん先生の人間的な一面にも、すごく影響を受けているんですよね。
それは、すぎやん先生が無類のゲーム好き、という側面です。
すぎやん先生がどれぐらいゲーム好きかという逸話は本当にたくさんあります。
例えばすぎやん先生ご自身がドラクエをすごくやり込まれていて、キャラクター全員をレベル99、プレイ時間も100時間以上やり込むというのは有名な話です。
また、日本最大のバックギャモン大会で優勝もされていました。
川畑が一番びっくりしたのは、
ゲームが好きすぎるあまり、戦時中、空襲を受けているときも、防空壕の中で命懸けで家族と麻雀をしていたそうです😨
どんだけやねん!って思いますよね笑
このエピソードこそが、川畑にとって大きな影響を受けるものだったんですね。
最近こそ「好きなことで生きていこう」という考え方が当たり前になっていますが、当時はそんな価値観なんて到底受け入れられなかったはずです。
今でも香川県では「ゲームは1時間まで」という条例が施行され話題を呼びましたが、やはり親としてはゲームにうつつを抜かす子供が心配になり、「ゲームばっかやってないでちゃんと勉強しなさい!」と叱ってしまうものだし、
そんな言葉を日頃浴びてきたら、「ゲームはいけないもの」と、心のどこかで思いますよね。
また、僕が何で起業したらいいかわからず模索してた頃、先輩起業家の方から「ゲームなんてやってたら人生は変わらないよね。だから俺は昔ハマってたゲーム機を全部捨てたよ。」と、おっしゃってたんですね。
その話を聞いた当時の僕は「まだ成功してないから、今はゲームなんてやってる場合じゃない」と思いました。
それ以来、起業してから数年間は、ほぼゲームを封印してきました。
(それでも根っこはゲーム好きなので、たまに誘惑に負けてましたけどね😅笑)
つまり川畑は、「ゲームは悪だ」って、心のどこかで思ってたんです。
でもすぎやん先生は、お仕事の面でも大成されておりますが、その人生の中でゲームを全力で楽しまれておられたんですよね。
そして、ゲームを全力で楽しんだからこそ、すぎやん先生は数々の伝説を残してこられたんだと思うんですね。
例えば、ドラクエの作曲が決まるときの誕生秘話も、それを裏付けるものでした。
当時、初代ドラクエがほぼ完成していたのですが、初代ドラクエのプロデューサーは「音楽がしっくりこない」と課題を感じていたそうです。
そんな中、すぎやん先生が将棋のゲームソフトに対し、アンケートはがきをドラクエの開発会社に送ったことをキッカケに、ドラクエプロデューサーとすぎやん先生が繋がったんですね。
プロデューサーとすぎやん先生が直接会って会話をする中で、すぎやん先生が無類のゲーム好きということがわかり、音楽作曲を依頼しようと決めたそうです。
プロデューサーが当時のゲーム開発チームに、すぎやん先生のことを話したところ、最初は猛反発をされたそうです。
「ゲームを知らない人に、ゲーム音楽なんて作れませんよ。」
「そんな大作曲家の先生にお願いしたら、イメージが違っても作り直しをお願いできないかもしれない!」
と、どうしても受け入れられなかったようです。
ただプロデューサーはそれでもめげず、開発チームのスタッフ達とすぎやん先生が直接面会する機会をセッティングしました。
初対面時はとても歓迎されていない様子だったそうですが、ゲームについて会話していくうちに、だんだんとドラクエ開発チームはすぎやん先生を受け入れられるようになり、最終的にドラクエ開発者から尊敬の眼差しを受けるようになったそうです。
なぜ打ち解けられたのか。それはすぎやん先生が、誰よりもゲームが好きだということが、ちゃんとスタッフに伝わったからです。
話を聞いていると、ドラクエ開発者も相当なゲーム好きだったそうです。
本気でゲームが好きな人たち同士だからこそ、「すぎやん先生は、ポジショントークではなく本当にゲームが好きなんだ」というのが伝わったんでしょうね。
そこで正式にドラクエの作曲が決まりました。
ただドラクエは、すぎやん先生と話す時点でほぼ完成していました。
そのため、与えられた制作期間は、たったの1週間だったそうです。
しかし、すぎやん先生は1週間以内で、ドラクエの全曲を完成させたそうです。
ちなみにオリンピックの開会式にも使われたドラクエの序曲は、なんとたったの5分で作ったそうです😱
すぎやん先生の場合、好きなゲームを全力で楽しまれていたからこそ、ドラクエという1つの伝説が誕生したんだと思います。
僕は以前、好きなものを封印しないといけないと、心のどこかでずっと思っていました。
確かに時間は有限なので、好きなことをしていたら、必要な作業に取り組む時間は削られてしまいます。
ただ、必ずしも好きなことを封印することが正解だとは限らないんですね。
すぎやん先生の話を聞いて、そう思いました。
また、必ずしも好きなことが、直接そのまま仕事になる必要もないんですね。
僕がお世話になってる凄腕コンサルタントの方に、「実力を磨くためにこんなことをしたらいいよ。」と、こんなことを教わりました。
たくさんの経験をすることだね。
自分が好き!とか感動した!を増やすとビジネスも鍛えられる。
それはいいビジネスに触れてるとも言えるしね。
ザッと言うと、ディズニーランドとか!海外旅行での経験とか!
自分が好きなこと、楽しいこと、感動した体験を積み重ね、感性を磨くことがとても大切、ということでした。
なぜなら僕たちは、ビジネスを提供する側だからです。
お客さんに感動を届けていくためには、まず僕たち自身が好きなことに取り組んだり、感動を体験しなければなりません。
そもそも感動を体験したことがない人が、「何があると感動が起こるか」を、本当の意味でわかるはずがありません。
だから、心が動く体験って大事なんですね。
そして、「好き」や「感動」を通じて得たユーザー体験を、今度は起業家として提供できるようになれば、自然とお客さんから愛されるビジネスになっていくんですね。
すると仕事は絶えなくなり、お金も巡ってくるようになるのです。
そう考えると、僕はドラクエから本当に多くのことを学ばせていただいたんだなと、改めて思いました。
すぎやまこういち先生、今まで本当にたくさんの感動と学びを、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
川畑
追伸:なぜ“すぎやん先生”なのか
ちょっとしんみりな内容にしてしまい、すみませんでした🙇♂️
川畑のドラクエ愛が止まりませんでした😭許してください😭
また、すぎやまこういち先生を、恐れ多くも途中から「すぎやん先生」と呼ばせていただきましたが、実は一部のドラクエファンからは「すぎやん先生」という愛称で親しまれているみたいなんですよね。
なぜ「すぎやん」なのか?
名前の由来はわかりませんが、実はドラクエ5では「すぎやん」という仲間が加わるんですね。
ドラクエ5には、敵モンスターを倒すと一部の種類は仲間になるシステムがありました。
このモンスターの中のヘルバトラーという種類も仲間にできるのですが、1匹目、2匹目、3匹目と、違うニックネームで仲間に加わってくれます。
で、このヘルバトラーの3匹目を仲間にすると、そのモンスターの名前が「すぎやん」になるんですよね。
なんとこのす犀利士 ぎやんの名前は、すぎやまこういち先生が元ネタになっているんだとか。。。
こういう経緯があって、すぎやん先生と親しみを込めて呼ぶときがあります。
なので今回、メルマガですぎやん先生と呼ばせていただきました。
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